蓮の花托を炭にしたものを並べ8×10インチのモノクロームフィルムで俯瞰撮影した作品。
私にとって炭や黒は永遠を意味している。炭は自然分解されない。
そして蓮の花托には、蜂の巣のように円がいくつかある。花托を並べるとまるで曼荼羅(※1)のように姿を変えた。
仏教では死を迎える時私たちの肉体はなくなるが、意識には終わりはなく永遠にあると言われている。
仏教に限らず特定の宗教は、死や死後の世界について説かれている。
私は不可知論者である。死後の世界や永遠についての問いは、無宗教の人も含め人間が必然的にもつ問いではないだろうか。未知の世界である死後や、宇宙に対しての考え方や価値観は、個人で異なる。
知らない未知の世界というのは、私達の想像を掻き立てる事もできるが不安にもさせる。知らないままというのも不安な
のである。宗教というのは不安を払拭し、明るい未来を作る事をも可能にするとても優秀な思考のシステムだと思われる。
永遠や死生観というのは、自身の納得できる思想と出会える事が望ましい。
人類にとっての永遠とは何だろう。世界は繋がっていて、人類、地球、宇宙も繋がっている。
主たる人間というものは変わらないが、一人ひとりが他でもない自分自身と向き合い意識と知識の集合体が循環し、人類
全体が一体となって進化をしていく。人類が人類への永遠を思い、人類の叡智を集結する事が未来への導きとなり永遠と
なっていく。芸術は見えないものや知りたいものを求める為の比喩の役目をしている。そこで想像し見解するという行為
は、神や死生観を思う宗教に類似している。芸術作品自体は物質なので未来永劫があるわけではないが、それを見た人々
が思考し記憶となり、集合的無意識となって、人類の意識が伝承されていく。
私はこの問いについてこれからも今この瞬間を感じ探求し続けて行くのであろう。よって永久に未完成これ完成である。

(※1)曼荼羅は仏教の中でも仏の世界観を絵柄で示したもののことで、仏教の教えを視覚化したものと言われ、ひとつの曼荼羅に様々な仏様が描かれている。心理学者のユングは各国に曼荼羅に似たような模様、神話に共通点が多い事に気付き全人類に共通した集合的無意識があるのではないかと考えた。